昨日、天使たちが母を訪ねて来てくれた。
元若葉荘の住人とその奥さんである。
若葉荘は三鷹駅から歩いて3分の所にあった。
私も住んでいたことがある。
でたらめな管理人が引っ越しをした後、母がその任を引き継いだ。
それから若葉荘は華の時代を迎える。
やはり三鷹にあるミルキー・ウェイの仲間が移ってきた。
無農薬野菜などを作ったり売ったりしているグループである。
オカリナ吹きもいた。アメリカ人もいた。太極拳の先生、鍼灸師もいた。
若葉荘は目の前が広い梅林で、持ち主は収穫に来なかったから、
その実を頂いたり、キノコを頂いたり、花見の宴を催したりした。
また、梅林は外界と隔ててくれたので、
夏になるとヌーディストが出現し、アパートを庭を闊歩していたりもした。
小さな畑を作ったり、秋は枯葉で焼き芋を焼いたり、
まあ今考えればやりたい放題であった。
トイレが共同の、昔の寮スタイルの、四畳半一間のアパート。
管理人室には風呂がついていたので、母はそれを共用とした。
私は途中で引っ越してしまったが、それからもいろんな人が住み着き、
とにかくなにかというと皆で集い、飲み、語らったらしい。
アパートの取り壊しが決まった。
入居希望者はいたのに、不動産会社が持ち主に新しいアパートを建てさせようとしたらしい。
それで母は私の住む八王子へ引っ越して来たのだが、
その折、アパートの住人の寄せ書きを持ってきた。
「昔の学生長屋のいい香りがする大切な場所でした。」
「若葉荘は保坂さん。ナニモカモ受け入れてくれる大きな心。アリガトウ。」
「東京珍長屋若葉荘は永遠に不滅にしたかった。」
「元気モリモリ、チョッピリおっかなかった頃が懐かしいです。」
「また同窓会をやりましょう。」etc....
みな散り散りになってからも、何年か同窓会は続いた。
毎年梅の花の時期に、井之頭公園に集まって宴会をやっていたようだ。
それからもNさんは毎年母を訪ねて来てくれる。
母はお小遣いまで頂いている。
若葉荘の華の時代は、それほどステキだったんだろう。
それにしてもありがたいことだ。
若葉荘がなくなってもう二十年近く経つというのに。
Nさんはアレッポの石鹸の輸入をしている。
シリアは内戦状態で、もう輸入できなくなるかも知れないとのこと。
石鹸工場自体がいつ壊されてしまうかもわからない状態とのこと。
これからたいへんだ。。。