~~~~~~~~次回出演~~~~~~~~

9月13日㈮「神楽坂のソウルフルナイト」<オ・シャンゼリゼ>(神楽坂)
歌:ほさか夏子
演奏<La Maladie D'Amour>pf.Frédéric VIENNOT gt.白𡈽庸介 bs.立原智之


詳しくはこちらからどうぞ⇒ ほさか夏子のスケジュール

ヨッパで書いちゃいけないってあれほど思ったのにな。
またヨッパで書いてます。
つーか、ヨッパじゃないと書けないこともあるしね。


素直になろう。
っつーか、うんと素直になったんで、(ヨッパになって、)
だから書き留めておきたいと思ったんだけれども。


ああ、何から書き始めていいものやら。
さっきまであれほど饒舌に頭の中で鳴り響いていたのに。


文字にするってことは、やはり大変なことなのね。
ヨッパなんかじゃ書けないことよね。


大儀的なことを話すのはやめよう。
素直に思ったことを書こう。
今日、「ブン」に行って、「良かった」んだ。
あれだけ誰でも(知っている人は)わかることを書きながら、なんだけどね。


それはお客様の影響が強かったせいかもしれない。
みな、あの頃を「共有」している。
魂が燃え競った時代を。


古賀さんも、芳賀さんも、今も一歩も譲らない。
この意味、解ってくださるだろうか。
たとえば、キタナラシイ歌というものがある。
音程だのリズムだのって話ではない。
歌い続けると、そんな落とし穴にはまってしまう歌手が多い。(なんと多いことか!)
たとえば「♪かれはよ(枯葉よ)〜〜〜」と歌ったとするじゃん。
その「〜〜〜」に特にイヤラシサは引っ付く。
私もかなり付き始めているんだけれどもね。


たとえば、奥野秀樹さんが創ってくださった「その人は」がある。
彼は「できるだけナチュラルに、たんたんと歌って欲しい」という。
ところがこの垢にまみれてしまった私は、こねまわさずにはいられない。
その、イヤな「オシャンソン」にまみれ、いまもどっぷりつかり、歌とはナンなんだろうと悩んでいる。
それほどまでに、甘い落とし穴が存在する。


確かに皆で共有した時代があった。
それは外国の歌だったけれども。
日本語にすることで、それは日本の歌として蘇った。
そして今でも歌い継がれている。


今、もう一杯用意してしまった。


「ブン」で、今日、それらがいとおしくなってしまった。
彼らがやってきたこと、そして私たちに与えてくれたもの。
そしてそれを支えてくれる聴衆たち。


「ブン」は確かに残した。
私も、継承を考えなくてならない世代に入ってきた。
己のみの世界なんてありえない。
なのにバカな私は己のみの評価に一喜一憂し、ま、今でもだが、
何かを残すことなどできないでいる。


深江ゆかさんと藤原和矢さんがやっている「ラマンダ」は素晴らしいと思っている。
歌を音楽を、それはいうまでもないが、
この今を愛し、それをどう未来に繋げていこうかと頑張っていらっしゃる。
誰にでもできることではない。
心から愛することの証明だ。


明日削除しないぞ、この記事。
くやしいな、もっともっと言いたいこと山とあったからここに向かったはずなのに。
あ、そうか。
ま、書けないこともあるしね。


「ユーカリ」、芳賀さんの歌、よかったですよ。