~~~~~~~~次回出演~~~~~~~~

9月13日㈮「神楽坂のソウルフルナイト」<オ・シャンゼリゼ>(神楽坂)
歌:ほさか夏子
演奏<La Maladie D'Amour>pf.Frédéric VIENNOT gt.白𡈽庸介 bs.立原智之


詳しくはこちらからどうぞ⇒ ほさか夏子のスケジュール

「生き方」

今年はなぜかたくさん咲きます、ホテイ草。一日花ですが、あとからあとから咲いてくれます。水槽に入れておくと金魚がその根を食べてしまうので、根がヤセます。なのでこうして養生させているのですが、とにかく増えます。今年もそろそろ家の前に出して、欲しい方に持って行ってもらうつもりです。

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ホテイ草

ああ、やっと少し楽になった介護。夫に分担させることにしたのだ。強い言葉を使ってしまいそうなので詳細を書くことはやめるが、とにかく疲れたのだ。心がねじ曲がってしまいそうになって、いやすでにそうなってしまっていたのだ。

下の世話やら風呂、食事の支度・洗濯・掃除など、そんなことはたいしたことじゃない。ただ、衰えていく彼女に、少しでも体を使うよう、自分でできることをさせようとすることに疲れた。「いいよ、10分でも20分でも、一時間でも待つよ。」とその度に言う。「できない」と泣きべそをかくふりにも耐えて促す。だってできるんだから。できないことは全部手伝っている。でも毎日できていることなのに、やろうともしないで必ず先ず「できない」と言う。こっちだって待つのは大変なんだ。そのうち「いじめないでよ」とくるから、私もつい「寝たきりになってもいいの?」と。次第に言葉も声も更に強くなり、いつの間にか鬼になっていたかも知れない、「虐待だ」とまで言われることもあった。でも彼女はボケたからではないんだ、昔からの彼女の生き方がそうなのだ。それを知っているからこっちも心に余裕が持てなくなるんだ、嫌いになるんだ、否定してしまうんだ。

まあ、そんなこんなで決めたのだ、着替えは全部私がやってあげることに。歯磨きも「あなたがそれでよければどうぞ」と細かく指示はしないことに。デイサービスの送迎も、歩行器で歩かせるのをやめ車椅子にした。あ~、楽。「赤ちゃんみたいに全部やって貰いたいの?」と聞くと「そう」と答える彼女にとっても、「待つ」「耐える」ことがなくなった私にも、二人には幸せな選択。

「それが嫌ならあなたがやりなさい。」と夫に言うと、デイサービスの行き帰りや休みの日の散歩は彼が歩かせることになり、夜の食事が終わった後からは彼の担当になった。ああ、ほんとに楽になった。彼女の声や匂いにまで拒否反応を覚えるようになっていた私。これでやっと、また少しもとに戻れる。優しくなれる。明日と明後日は夫が朝から出かけてしまう。歩行器を、・・・持ち出そうか。

ああ、こういうことは書かないつもりだったんだがな。

 

 

「望」さん、ありがとう。

これは6月に咲いたもの。切り戻しをし、今また咲き始めています。

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シモツケ

義母が今お世話になっているデイサービス「望(のぞみ)」さん。照子さんもとてもお世話になった所。「望」さんのおかげで私の母は幸せな老後を送れたといっても過言ではない。

「望」さんに来る前、義母は大手のデイサービスに通っていた。リハビリに特化しているというので決めたのだった。しかしある時、そこを訪れた私は愕然とした。「姥捨て山」という言葉が真っ先に浮かんだのだった。

以前から感じていたことだが、そこの誰が悪いというわけではなく、大会社のシステム故のことだとは思う、勤務する人々は「ただ何事もなく無事にノルマを果たせれば、通常通りの報告書を作成できれば」その思いに支配されている。勤めるうちに自然とそうなってしまったのだろう、可哀想だとも思うが。ウチで義母が転んで痣をつけようものなら、「ここで転んだのではありませんからね、来所した時にはすでにあったんですからね」と言わんばかりの騒ぎよう。ちょっとしたことでも書類の山、わざわざ呼びつけてくどくどと説明。「こちらに落ち度はありませんからね」と言いたいのだ。わかった、わかった。

その訪問後、すぐに「望」さんに移れるよう手配してもらった。リハビリはウチでやればいいのだ。入浴させる手間も増えるが、もうコツはわかっているので回数が増えても平気だ。

地域密着型の「望」さんは、笑顔で迎えてくれる。スタッフたちは大変な仕事にも関わらず笑顔を絶やさず優しく、かといって無理のない自然体で接してくれる。通所者はみんなで一緒に和気あいあいと時を過ごせる。時には花見や買い物など、外にまで連れ出して気分転換を図ってくれる。それこそ何かあったら大変なので、そこまでしてくれる所は少ないのでは? 子供も遊びにくる(これは私にとって理想に近いかたち<参照:子供の遊び場 - ほさか夏子のブログ >)。ご飯もおやつも手作りで提供してくれる。とにかく融通が利く。とっても近いから、リハビリを兼ねて歩かせることもできる、なにかあってもすぐ飛んで行かれるしね。いいとこづくしだ。

今の私にとっても頼みの綱なんです、「望」さん。どうぞよろしくお願いいたします。

切れるものなら切ってみろ。

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季節外れの藤の花

藤の花が八輪、今咲いている。一所懸命に伸ばした蔓を、あとからあとからすぐに切られてしまうからだろう、彼女はこんな手を打って出た。「どうよ、今度は花よ、ほうら切れないでしょう。」季節のものと違い、明らかに「後で蔓になってやる」という意思が伝わってくる花なのだ。

「ありがとう」より、笑って。

アマリリスが咲いた。

 

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 うわ、デカ。編集せずに貼り付けてしまったが、これはこれで迫力があってよろしいじゃないか。(サイズダウンしました、やっぱり。8/11)昨年は確か赤のみだった。今年は白。ま、いい、どっちでも咲いてくれれば。

 

 「ありがとう」の言葉より、喜んでくれた方が嬉しい。喜んでくれたなら、報われる。喜んで欲しいから、やっているの。時間の使い方もまだうまくいかなくてね、「ああ、自分のことが何にもできないじゃないか」と嘆くこともあるけれど、それは嘘なんだ、まだまだ自由に使える時間はあるんだな。それでもだいぶ慣れてきた、彼女との付き合い方に、彼女の心の在り方に、表現に。でも、時々叱りつけてしまうんだな。いけねぇ、いけねぇ。

 昔「ありがとう」を連発して嫌がれたことがある。確かにそうなんだ。心をこめて一回言えば伝わるはず。ふと漏れる「ありがとう」もステキな言葉ではあるけれど、よく考えてみるとそれは自己満足の為の言葉だったりすることがある。言えば己の心が落ち着いて、それで全てをチャラにしてしまっていたりする。その場を収める安易な言葉に、私は成り下げていやしないだろうか。相手がここまでしてくれたこと、どれだけの労力を必要としたか、どれだけ心を配ってくれたか、そういうことに思いをよせてみることだ。それをじっくり味わうのだよ、ナツコ。そして「ありがとう」と言おう。

■ライブ「歌の砂」始まります。

2月9日土曜日、14:30から、新企画「歌の砂」がスタートします。

場所:「A7(エーナナ)」
  地下鉄神保町駅A7出口を左、ココカラファインを左折、
  右手に「和菓子の文銭堂」が見え、その隣のビル3Fです。
  徒歩1分。


14:00開場 14:30から3ステージ
  1st.ほさか夏子 2st.和田山名緒 3.stほさか夏子


演奏:La Maladie D'Amour
  pf.フレデリック・ヴィエノ
  gt.白𡈽庸介
  bs.立原智之


料金:3500円 飲み物の用意はありませんので、
  ご自由にお持ち込み下さい。出入りも自由です。


「歌の砂」は偶数月、第二土曜日に開催します。
次回は4月13日。
みなさんのお越しをお待ちしております!